Grabから見えた日本の働き方の不自由さ

日本社会

海外に行くと、日本では当たり前だと思っていたことが、急に不思議に見えてくることがあります。

その一つが、移動の仕方です。

東南アジアなどでは、Grabのような配車アプリが生活の中に自然にあります。

車を呼ぶ。
バイクを呼ぶ。
食べ物を届けてもらう。
荷物を運んでもらう。

旅行者にとっても、とても便利です。

言葉が完璧に通じなくても、アプリで目的地を入れれば移動できます。
料金も事前に分かります。
知らない土地で動く時、この安心感はとても大きいです。

でも、私がGrabを使うたびに考えてしまうのは、便利さだけではありません。

なぜ日本では、こういう働き方がこんなにも広がりにくいのだろう。

なぜ普通の人が、自分の車やバイク、自分の時間を使って働くことが、こんなにも難しく見えるのだろう。

もちろん、安全の問題は大切です。

誰でも自由に人を乗せればいい、と単純に言いたいわけではありません。

事故の責任、保険、利用者の安全、運転者の管理。

考えるべきことはたくさんあります。

でも、それでも私は思います。

日本では、安全やルールという言葉が、時々「新しい働き方を止める理由」として使われすぎていないだろうか。

海外では、普通の人がアプリを通して働いています。

空いた時間に運転する人がいる。
食べ物を届ける人がいる。
バイクで街を走る人がいる。

それは、大きな会社に正社員として入る働き方とは違います。

でも、それも一つの働き方です。

自分の時間を使う。
自分の道具を使う。
自分で動く。
自分で稼ぐ。

そこには不安定さもあります。

でも同時に、自由もあります。

日本では、働くことがまだまだ「どこかに所属すること」と強く結びついているように感じます。

会社に入る。
組織に属する。
決められた時間に働く。
決められた役割をこなす。
上から評価される。
給料をもらう。

もちろん、その働き方が悪いわけではありません。

安定した雇用には意味があります。
組織の中で守られる部分もあります。

でも、それだけが働き方ではないはずです。

自分で時間を選ぶ。
自分で仕事を選ぶ。
自分で稼ぎ方を組み合わせる。
必要に応じて働き方を変える。

そういう選択肢が、もっと自然にあってもいいと思います。

ところが日本では、レールから少し外れると、すぐに不安そうな目で見られることがあります。

正社員ではない。
会社に属していない。
毎日同じ場所に通っていない。
決まった肩書きがない。
働き方が普通ではない。

それだけで、どこか信用されにくい。

私はそこに、日本の息苦しさを感じます。

Grabが普通にある国に行くと、私はいつも思います。

働き方は、一つではない。

移動の仕方が一つではないように、稼ぎ方も一つではありません。

会社員だけが働く人ではありません。
正社員だけが安定した人でもありません。
一つの組織に属することだけが、人生の正解でもありません。

日本にいると、その当たり前を忘れそうになります。

でも海外に出ると、人はもっといろいろな形で働いています。

もっと雑に見えるかもしれません。
もっと不安定に見えるかもしれません。
でも、もっと自由に見えることもあります。

Grabが普通にある国で、私は日本の働き方の不自由さを考えました。

これは単なる配車アプリの話ではありません。

働き方の自由の話です。

自分の時間をどう使うか。
自分の力をどう生かすか。
一つの組織だけに依存せず、どうやって自分の人生を動かしていくか。

その問いは、教育にも、投資にも、旅にもつながっていると思います。

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海外で見える働き方の違い、日本の「所属」に偏った働き方、そして小さく働く自由について、より深く考えました。

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